深い森に入って2009-12-15

「ある家族の歴史」から第一編は始まりますが、カラマーゾフ家の人々について語られます。父フョードルの二度目の妻ソフィヤについて、
 
 « Меня эти невинные глазки как бритвой тогда по душе полоснули »

<試訳> あの無垢な眼差しが、あん時、わしの魂を剃刀のようにスパッとやったわけだ。

 背徳的なフョードルが無垢なるものに魅かれたことを告白する。それを語る彼の中に、汚辱の自覚のなかで純なものを求める人間の本性を知り救いを感じる。それは後に、アリョーシャへの彼の心情としても表現される。

アリョーシャの追憶(1)2009-12-16

 幼子のアリョーシャを胸に抱えて、彼の母が聖像の前で聖母に祈る、というより哀願する印象的な場面で。

≪・・・ лишь выступая всю жизнь как бы светлыми точками из мрака, как бы вырванным уголкам из огромной картины, которая вся погасла и исчезла, кроме этого только уголочка.≫

<試訳> あたかも闇の中の輝く点のように、また、全体は色あせて消え去った巨大な絵から引きちぎられて残った、まさにこの一片のように、生涯を通じて心に浮かんでくるのだ。

 アリョーシャの母は、普通ではない精神状態の女性として描かれているが、我が子の行く末を懇願する姿は哀切で胸を打つ。
 彼は彼女の美しさと、限りない愛情を生涯心に刻む。カラマーゾフの人々の受け継ぐ真情の一つの源泉だと思う。

アリョーシャの追憶(2)2009-12-17

 聖像の前で母に抱かれた幼子、アリョーシャの生涯忘れえぬ情景。

≪Он запомнил один вечер, летний, тихий, отворенное окно, косые лучи заходящего солнча (косые-то лучи и запомнились всего более), в комнате в углу образ пред ним заженную лампочдку, ≫

<試訳> 彼は覚えている、ある夏の日の静かな夕方、開いた窓、斜めに差した落日の光を(斜めに差した光をなぜかよく覚えている)、部屋の一隅の聖像、その前に灯っていた燈明を、

 作者の作品には自然そのものの描写はあまり多くない。清濁を合わせた人間そのものへの愛おしさを根底にした心理描写や独白が多いと思う。
 この情景描写もアリョーシャの追想という形で、誰しも思い当たるようなセピア色の原風景として描かれ、短い表現ながら心に滲みる。

アリョーシャの追憶(3)2009-12-18

前回と同じ場面、聖像の前の母の様子が詳しく描かれる。

≪а пред образом на коленях, рыдающую как в истерике, со взвизгиваниями и вскрикиваниями, мать свою схвативщую его в обе руки, обнявшую его крепко до боли и моляшую за него богородицу, протягивающую его из объятий своих обеими руками к образу как бы под покров богородице...≫

<試訳> そして、聖像の前にひざまづき、金切り声で悲鳴をあげながらヒステリーのように泣きわめいている自分の母が、両の手に彼を抱え、痛いほどに彼を抱きしめているのを。
 そして、聖母の庇護を求めるかのように、聖像に向かって両手で抱擁していた彼を差し出して、彼のために聖母に懇願するのを覚えている・・・

 自分の死を悟り、ひざまづいて幼子の行く末を案じてマリアに一心に懇願する母の姿が、アリョーシャの追憶という形を借りて、まるで高みから静かな慈愛の眼差しで見るように表現されています。
 深い愛情が錯乱の激しさに重なって痛ましいほどです。母子の根源的な結びつきが伝わってきます。

赦すアリョーシャ2009-12-19

 作者はカラマーゾフ家の人々について生い立ちや性格を詳しく描写している。三男アリョーシャの心情が記される。

≪Он не хочет быть судьей людей, что он не захочет взять на себя осуждения и ни за что не осудит. Казалось даже, что он все допускал, ни мало не осуждая, хотя часто очень горько грустя. ≫

<試訳> 彼は人々の裁判官になりたくなかった。咎めることも好まず決して非難しなかった。しょっちゅうひどく辛い悲しみを味わいながらも、ほんの少しも非難せずにすべてを赦しているようにさえ思われた。

 「白痴」のムイシュキン公爵の形象を思い起こさせるアリョーシャのナイーヴな心情が、この前後に多くの事例で記述されています。
 この後、多くの苦悩の場面に立ち会って登場人物と物語をつなぐ役割を静かに演じる彼ですが、その奥にこの赦しがあるように思います。

ミウソフのアリョーシャ評2009-12-20

 長兄ミーチャの後見人、知識人であるミウソフがアリョーシャについて語る。

«Вот может быть единвтвенный челобек в мире,которого оставьте вы вдруг одного и без денег на площади незнакомого в милион жителей города,и он ни за что не погибнет и не умрет с голоду и холоду, потому что его мигом накормят, мигом пристроят, а если не пристроят, то он сам мигом пристроится, и это не будет стоить ему никаких усилий никакого унижения, а пристроишему никакой тягости, а может быть напротив почтут за удовольствие»

<試訳> もしかしたら、彼は、たとえ突然見知らぬ百万都市の広場に金もなしにたった一人で置かれたとしても、飢えや寒さで滅びもせず死にもしない、この世でたった一人の人間かも知れん。なぜかと言うと、彼はすぐさま糧を与えられ、即刻、落ち着き先に世話されるのだ。もしそうでないとしても、彼は自分ですぐに身の置き処を見つけるし、しかも、それは彼にとって何の努力も、卑下もいらないどころか、世話する方にとっても何の重荷でもなく、反対に喜びと思われるかも知れないのだ。

 キリストのイメージとどうしても重なってしまいます。ミウソフの口を借りて作者の描くアリョーシの天性が語られています。あまりに稀な存在として表現されているので、かえって実在感が薄れる印象もあります。

フョードルの煩悶(1)2009-12-21

修道院に入りたいというアリョーシャ突然の申し出に、フョードルは修道院について、宗教観について、アリョーシャについて、そして自分について述べる。

≪Я все помышлял о том: кто это за меня когда-нибуть помолится ? Есть ли в свете такой челобек ?≫

<試訳> わしは、いつも思ってるんだ、つまり、いつの日か、わしのために誰が祈ってくれるだろうかとな。この世の中にそんな奴がいるもんだろうか。

 フョードルは自分の自堕落さを痛いほど自覚していることがわかります。 偽悪的に道化を演じもするのですが、だからこそ孤独であり、救いを求める気持には哀しささえ感じます。一面的に捉えきれない人間の深さを教えられます。

「カラマーゾフの兄弟」原書2009-12-22

いつかは読もうと、書棚に眠っている姿を時折眺めていました。文庫本の大きさで2巻本です。正教の教会を背景にアリョーシャとゾシマ長老が描かれているカバーも気に入っています。1998.7.30НАУКАとメモがあるので13年以上前、ナウカでの購入です。私にとって聖なる書のような存在です。

フョードルの煩悶(2)2009-12-22

 アリョーシャの修道院入りの願いに、混乱しながらフョードルが自分自身の不安を語る。

≪Ведь невозможно же, думаю, чтобы черти меня крючьями позабыли стащить к себе, когда я помру. ≫

<試訳> わしが死ぬ時に、悪魔たちがわしを鉤で引きずりだすのを忘れるなんてことは、ありえんもんかと考えるんだが。

 修道院に対する不信を言いながら、ここにいるよりはいいと息子の願いに応えようとする父親の葛藤が饒舌に語られます。堕落した自身の死後について自問自答の形で息子に聞かせる姿に寂しさがあります。

フョードルの煩悶(3)2009-12-23

アリョーシャを前に、フョードルは悪魔の鉤について持論を展開する。

≪А коли нет крючьев, стало быть и всё по боку, значит опять невероятно: кто же меня тогда крючьями-то потащит, потому что если уж меня не потащит то что ж тогда будет, где же правда на свете? Il faudrait les inventer, эти крючья, для меня нарочно, для меня одного, потому что если бы ты знал, Алёша, какой я срамник!≫

<試訳> もし鉤がないとなると、全部パァってことになる。ということは、またうそのような話で、それじゃあ、誰もわしを鉤で引きずらんてことになる。
わしを引きずらねぇなんてことがあったら、いったいこの世のどこに真実があるってんだ。何としても鉤をこさえなきゃならんのだよ、わしのために、わしだけのためにな。なぜかって、アリョーシャ、おまえがわしがどんな恥知らずな人間かわかってくれたらなぁ。

フョードルは自堕落で酒好きで破廉恥ですが、論旨は一貫していると思います。興奮してまくしたてる場面でも、内容には彼の独自の哲学があり、明晰さを感じさえします。ここでは、悪魔の鉤を主題にしてはいますが、実はその裏返しとしての神の存在についての自問自答なのではないでしょうか。