アリョーシャの追憶(1)2009-12-16

 幼子のアリョーシャを胸に抱えて、彼の母が聖像の前で聖母に祈る、というより哀願する印象的な場面で。

≪・・・ лишь выступая всю жизнь как бы светлыми точками из мрака, как бы вырванным уголкам из огромной картины, которая вся погасла и исчезла, кроме этого только уголочка.≫

<試訳> あたかも闇の中の輝く点のように、また、全体は色あせて消え去った巨大な絵から引きちぎられて残った、まさにこの一片のように、生涯を通じて心に浮かんでくるのだ。

 アリョーシャの母は、普通ではない精神状態の女性として描かれているが、我が子の行く末を懇願する姿は哀切で胸を打つ。
 彼は彼女の美しさと、限りない愛情を生涯心に刻む。カラマーゾフの人々の受け継ぐ真情の一つの源泉だと思う。

コメント

_ gieyon ― 2009-12-18 20:37

おおざっぱな感想ですみませんが、アリョーシャの生母の姿が、マルメラードフの奥さんに重なってくるんです。ドストエフスキーに、そういう意図はなかったのでしょうか。

_ mir→gieyon ― 2009-12-18 20:57

放蕩のフョードル、純なアリョーシャ、憑かれたような母、と、飲んだくれのマルメラードフ、ラスコーリニコフの魂を救うソフィア、錯乱に至る母、、三者の対応を改めて考えさせられました。ドストエフスキーの意図はわかりませんが、結果として小説の構成としての巧みさを感じさせられます。

_ gieyon ― 2009-12-19 21:17

人間の真髄に迫って隠したい部分をも鷲掴みにして白日のもとにさらそうとすると、放蕩、狂気、アル中など極端な人物を描かずにいられないのでしょうね。でも、放蕩のフョードルにしても、神を口にし、神のために内心のたうちまわるところが描かれる。どんな人間に対しても、作者の強い執着を感じます。

_ earnie ― 2016-11-20 13:18

初めまして。すごいチャレンジですね、カラマーゾフの兄弟は、いつだったか、原卓也氏訳の上巻さえ完読せずに終わり、こちらのブログに触発されてか、神のお告げか、偶々寄った古本屋で上中下セットが目に留まり、ぼちぼち読もうと思っています。もちろんこちらも(全部は無理ですが)拝読させていただきます。楽しみです。

_ mir→eamieさん ― 2016-11-21 08:55

目に留めていただいてありがとうございますとても嬉しいです。このブログを始めた頃、この場面に感動し、イメージして描いたのが右側のクリック用の画像です。もうずいぶん前ですが、この瞬間がアリョーシャの心の源泉になっているのではないかと思います。
最初のうちは抄訳で始め、途中からご要望があって全訳を続けています。本当に拙いものですが、お読みいただき一緒に感動を分かち合っていただければ励みになります。コメントもぜひよろしくお願いします。

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