バビロンの塔の問題2009-12-28

作者はアリョーシャが修道院への道を選んだ必然性を語り続ける。

≪Точно так же, есль б он порешил, что бессмертия и бога нет, то сейчас бы пошёл в атеисты и в социалисты (ибо социализм есть не только рабочий вопрос,...вопрос современного воплощения атеизма, вопрос Вавилонской башни, строящейся имменно без бога,не для достижения небес с земли, а для сведения небес на землю).≫

<試訳> 全く確かなのは、もしも彼が不死と神があり得ないと決めたとしたら、無神論者で社会主義者に行き着いただろう。(なぜなら、社会主義は労働者の問題だけではなく・・・無神論の今日的な具現化の問題なのだ。地上から天上に至るためではなく天上を地上に引き下ろすために、まさに神なしで建築されるバビロンの塔の問題なのだ。)

宗教と社会主義の関係について触れていますが、当時の時代の背景が垣間見えて興味深いです。アリョーシャの選択について、作者はさらに、「母が彼を抱いて聖像の方にさしだしたとき、聖像の前におちていた入り日の斜光も、作用していたかもしれない」(原卓也訳)と、論理では割り切れない心の動きを象徴的に記して、私たちを納得させてくれます。