父親フョードルの情2009-12-24

フョードルは長広舌のあとアリョーシャの修道院入りを認める。

≪хоть до тебя как до ангела ничего не косаетья.... Ну авось и там до тебя ничего не косаетья, вот ведь я почему и дозволяю тебе, что на последнее надеюсь.  Ум-то у тебя не чорт сьел. Погоришь и погаснешь, вылечишься и назад придёшь. А я тебя буду ждать: ведь я чувствую же, что ты единственный челобек на земле, который меня не осудил・・・.≫

<試訳> もっとも、天使に触れないように、おまえには何物も触れないからなあ・・・。そうだとも、きっとあそこでだって、おまえに誰一人触れはせん、そのことを当てにするからこそ認めるというわけだ。おまえの分別は悪魔に食われとらん。燃え盛って燃え尽きて迷いが覚めたら戻って来い。わしはおまえを待っとるよ。おまえはわしを責めなかった地上でたった一人の人間だと感じてるんだ・・・。

許可を求める息子アリョーシャを前に、父はあれやこれやと自説を開陳し続けます。この間、息子は一言も口を挟まないで聞いています。大審問官の場面をちょっと想起します。とうとう父は最後にすすり泣きさえします。この場面は、
≪Он был сентиментален. Он был зол и сентиментален.≫
 <彼は、涙もろい男だった。彼は悪漢であったが、涙もろい男だった>で結ばれています。無垢なるもの、息子との別れに際してフョードルが見せる真情ではないでしょうか。

買わざるを得ない本2009-12-25

<「カラマーゾフ兄弟」の翻訳をめぐって>(大島一矩著、光陽出版社)という本が出版されていることを知りました。日本の10人の翻訳者や英独仏の訳文を列記して比較し、問題点を考察したものです。さっそく書店で注文し購入しました。

現実主義者の信仰と奇跡2009-12-26

信仰に対する作者の考え方が述べられる。

≪В реалисте вера не от чуда рождаеться, а чуда от веры. ≫

<試訳> 現実主義者の場合、奇跡から信仰が生じるのではなく、信仰から奇跡が生まれるのだ。

一般論として述べていますが、少し前で作者が「アリョーシャは誰にも増して現実主義者だったような気がする」と書いていますから、これを受けてアリョーシャのことをいっているのでしょう。
信仰の問題、とりわけ神の存在についてはフョードルをはじめカラマーゾフ家の人々が真剣に悩むテーマですが、歴史的、文化的な背景の違いを感じます。

いかにして信仰に至るか2009-12-27

使徒トマスの例をあげて、信仰に至る心理が分析される。

≪Чудо ли заставило его уверовать? Вероятно всего, что нет, а уверовал он лишь единстовенно потому, что желал уверовать, и может быть уже веровал вполне, в тайнике существа своего, даже ещё тогда, когда произносил:<не поверю, пока не увижу> ≫

<試訳> 果たして奇跡が彼を信仰に向かわせたのだろうか。そうでないことは明らかで、彼はひとえに信仰を欲したからなのであって、“この目で見ない限りは、信じない”と言っていたその時でさえ、心の奥底ではすでにほとんど信じていたのかもしれない。

キリストの復活を信じなかった使徒トマスが8日目にイエスに会い「我が主よ、我が神よ」と言ったことを踏まえています。文中の彼はトマスなのですが、アリョーシャもそうだと作者は言いたいのでしょう。このように信仰に至る過程に拘って深く問題にするのは、ドストエフスキー自身のことを語っているからではないかと思わずにいられません。

バビロンの塔の問題2009-12-28

作者はアリョーシャが修道院への道を選んだ必然性を語り続ける。

≪Точно так же, есль б он порешил, что бессмертия и бога нет, то сейчас бы пошёл в атеисты и в социалисты (ибо социализм есть не только рабочий вопрос,...вопрос современного воплощения атеизма, вопрос Вавилонской башни, строящейся имменно без бога,не для достижения небес с земли, а для сведения небес на землю).≫

<試訳> 全く確かなのは、もしも彼が不死と神があり得ないと決めたとしたら、無神論者で社会主義者に行き着いただろう。(なぜなら、社会主義は労働者の問題だけではなく・・・無神論の今日的な具現化の問題なのだ。地上から天上に至るためではなく天上を地上に引き下ろすために、まさに神なしで建築されるバビロンの塔の問題なのだ。)

宗教と社会主義の関係について触れていますが、当時の時代の背景が垣間見えて興味深いです。アリョーシャの選択について、作者はさらに、「母が彼を抱いて聖像の方にさしだしたとき、聖像の前におちていた入り日の斜光も、作用していたかもしれない」(原卓也訳)と、論理では割り切れない心の動きを象徴的に記して、私たちを納得させてくれます。

困惑する修道士2009-12-29

修道院に到着した一行を案内する修道士の心理が描写される。

≪На бледных,бескровных губах монашка показалась тонкая, молчальная улыбочка, не без хитрости в своём роде, но он ничего не ответил, и слишком ясно было, что промолчал из чувства собственного достоинство.≫

<試訳> 修道士の青白く血の気のない唇に、ある種のずるさを含んだかすかな無言の微笑みが浮かんだが、彼は何も答えなかった。自尊心から押し黙っていたことはあまりにも明瞭なのだ。

フョードルを非難するミウソフが同意を求めるように声をかけた時の修道士の表情です。場にふさわしくない一行の到着や二人の諍いに困惑する心理が伝わってきます。「ある種のずるさを含んだ・・・」と言われると、記憶の引き出しをあれこれ探してしまいます。

諭すゾシマ長老(1)2009-12-30

救いを求めてゾシマ長老のもとに問題を抱えてたくさんの信者が押し寄せる。彼は亡くした息子を想い悲嘆にくれる母親に諭す。

≪И таковой вам матерям предел на земле положен. И не утешайся...и пдачь, только кажды раз, когда платешь, вспоминай неуклонно, что сыночек твой – есть единый от ангулов божих, оттуда на тебя смотрит и видит тебя и на тои слезы радуется и на них господу богу указывает. И надолго ещё тебе сего великого материнского плача будет, но обратится он под конец тебе в тихую радость, и будет горькие слезы твои лишь слезами тихого умиления и сердечного очщения, от грехов спосающего. ≫

<試訳> あんたがた母親には、この世に限界がもうけられているんだよ。慰めを求めなさんな…そして泣くことだ。ただ泣くときにはその度にいつも思い出すんだよ、あんたの息子が天使の一人で、そこからあんたを見つめていて、あんたの涙を見て喜んでいて神様にそれを教えていることを。そしてあんたにとって母親の深い嘆きは永いこと続くだろうが、だがなそれはついにはあんたにとって静かな喜びに変るんだよ、そして、あんたの苦い涙は、罪を清めてくれる静かな感動と心の浄化の涙になるんだよ。

-母親には、この世に限界が・・・-適切に訳せないのですが、母親が死んだ息子に一目会いたいと切望するのに応じています。「慰めを求めなさんな」と言いながら、それに続く彼の言葉はなんという慰めになっていることでしょう。

諭すゾシマ長老(2)2009-12-31

罪を悔いる農婦に長老は救いの言葉を投げかける。

≪Ничего не бойся, и никогда не бойся, и не тоскуй. Только бы покояние не оскудевало в тебе – и всё бог простит.  Да и греха такого нет и не может быть на всей земле, какого бы не простил господь воистину кающемся. Да и совершить не может, совсем, такого греха великого человек, который бы истощил бесконечную божью любовь. ≫

<試訳> なんにも怖がることはない、いつだって怖がることも滅入ることもないんだよ。ただお前さんが悔悟の気持ちが弱まらぬようにさえしておれば、神様はすべてを赦してくれる。全くこの世に心底後悔している者を神様が赦さないようなそんな罪などあるはずがないのさ。限りない神の愛を使い尽くしてしまうほどの大罪など人間が犯せるはずがないのだよ。

虐げられ貧しさゆえの罪を悔いる農婦に、優しい言葉でその重い苦しみを解きます。神様の赦しとありますが、信仰を別にしても、過ち多き者にとって何と慈愛に満ちた慰めの言葉でしょう。