憎悪の情と激しい愛2010-04-04

気持ちを高ぶらせながら経緯を説明するドミートリィの独白が続く

≪Веришь ли, никогда этого у меня ни с какой не бывало, ни с единою женщиной, чтобы в этокую минуту я на неё глядел с ненавистью, - и вот крест кладу: я на эту глядел тогда секунды три или пять со страшнюю ненавистью, - с тою самою ненавистью, от которой до любви, до безумнейшей любви - один волосок. Я подошёл к окну, приложил лоб у мёрзлому стеклу и помню, что мне лоб обожгло льдом как огнём.≫

<試訳>僕にはどんな女ともこんなことはかってなかったんだ、ただの一人だってね、信じるかい、僕はその瞬間に憎悪の情で彼女を眺めていたんだ、誓って言うが、僕は彼女をその3秒か5秒間怖ろしい憎しみで見ていたんだよ。恋まで、狂おしいほどの恋まで紙一重というまさにその憎悪の情でもってね。僕は窓辺に近づいて凍りついたガラスに額をつけた。額が氷でまるで炎で焼かれるようだったことを覚えているよ。


ドミートリィはカテリーナへの振る舞いと感情の流れを吐露し続けます。高雅な彼女と卑劣漢の自分を対比させながら、憎悪と恋情の葛藤をアリョーシャに聞かせるのです。悪者になりきれない彼の真情が伝わってきます。

コメント

_ 慎之介 ― 2010-04-05 00:39

おかえりなさい。本当に長い旅でしたね。時差ぼけはもう治ったことと思います。道中いろいろ(非日常ですから)なこと体験されたことでしょう。試訳にそれが反映されたりして、、、、、。ドミイトリーのカテリーナに対する思いで「高雅な」との表現に広辞苑を見てしまい、カテリーナを思い描いてみましたが、なかなか描けません。
当てはまる女性、現存するかな?
NHKのETV特集でトルストイに関する番組があり、録画しておきました。後でゆっくり見ようと思って。

_ mir→慎之介さん ― 2010-04-05 10:37

確かに女性を客観的に描くことはとても難しいのだと思います。男性の視点からの理想像となったり、時代背景もありますが、女性の立場からは偏見や、誤解や蔑視だと思われることももあるでしょうね。ドストエフスキーの場合は女性を神聖視して描いているように感じます。カラマーゾフ家の男性陣は女性に翻弄されることになります。

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