文芸読本2010-04-15

河出書房新社1976年(昭和51年)発行です。小林秀雄、椎名麟三、シェストフ、ジイド、堀田善衛、丸谷才一、金子光晴、五木寛之、埴谷雄高、大江健三郎、米川正夫・・・著名な文学者、小説家がドストエフスキーを語っています。巻末の資料で研究・評論を数えてみると邦訳されたものだけで400を超えていて、彼の影響の大きさに驚きます。

身を滅ぼさないで!2010-04-17

窮地の兄の状況を聞き、アリョーシャが心配する。

≪- Митя, ты несчастен, да! Но все же не столько, сколько ты думаешь, - не убивай себя отчаянием, не убивай!≫

<試訳>ミーチャ、兄さんは不幸なんですね、本当に! でもまだ兄さんが思ってるほどじゃないんですから、絶望して捨てばちにならないで、身を滅ぼさないでね!

カテリーナから預かった大金を遊興に使い果たし、その返金に窮するドミートリィへのアリョーシャの言葉です。ドミートリィは、「自堕落な最低の男だが盗人にはなりたくない」という矜持があり苦しむのです。兄の心に寄り添うアリョーシャの精いっぱいの叫びです。

今は自殺はしないよ2010-04-18

アリョーシャの心配にドミートリィが答える

≪- А что ты думаешь, застрелюсь, как не достану трёх тысяч отдать? В том-то и дело, что не застрелюсь. Не силах теперь, потом может быть, а теперь я к Грушеньке пойду...≫

<試訳>「3千ルーブリが手に入らないと僕が銃で死ぬなんて、お前は思っているのかい。自殺しないというのが、まさに問題なんだけど。今はそんな元気はないよ、そのうちやるかも知れないけどね、今は僕はグルーシェンカのところに行くのさ・・・。」

兄を案じ心を痛める弟に語っています。彼にとって真情を告白できるのは弟にだけです。アリョーシャも問題を解決できるわけではなくもっぱら聞き役で、たまに言葉を挟むのみです。それでも、それによってドミートリィは感情を発散させたり問題を整理したりしているように思います。長老から「二人の兄の傍にいてあげなさい」と言われたアリョーシャが辛い役割を果たしていて同情してしまいます。

奇跡を信じる2010-04-20

ここに至ってドミートリィは神慮を期待する

≪- Чуду? - Чуду промысла божьего. Богу известно моё сердце, он видит всё моё отчаяние. Он всю эту картину видит. Неужели он попустит совершиться ужасу? Алёша, я чуду верю, иди!≫

<試訳>「奇跡をですって?」 「神の御心たる奇跡をだよ。神は僕の心をご存じで、僕の絶望をすっかりお見通しなんだ。この全光景を見ておられるんだ。悲惨なことが起こるのを神が放っておかれるはずがないよ。僕は奇跡を信じる、アリョーシャ、さあ行くんだ!」

追い詰められたドミートリィが神の奇跡に望みを託しています。アリョーシャのほうが驚いています。ここに神を持ち出すのは身勝手なような気がしますが、放蕩な彼の一つの側面でしょう。信仰の深さから見ると、アリョーシャは聖職者を目指した程、イワンは無神論者でありながら内心で葛藤、ドミートリィは一般的な信仰者という感じです。

分からないんだ2010-04-21

父親を殺すかもとドミートリィは語る

≪- Брат, что ты говоришь!
- Я ведь не знаю, не знаю... Может быть не убью, а может убью.≫                                                            

<試訳>「兄さん、何ということを言うんです!」
      「僕には分からない、分からないんだ・・・。殺さないかも知れないが、殺すかも知れないんだ。」

ドミートリィが父親殺しの可能性を口にします。以前、僧庵で「どうしてこんな男が生きているんだ!」と語るなど、後の事件の疑惑の種を自ら撒いていきます。激情的な彼は、抑制できない衝動に突き動かされる危うさで読者をはらはらさせます。この後アリョーシャは想いに沈んで父の家に赴くのですが、心の痛みが察せられます。

スメルジャコフの最初の発作2010-04-22

少年時代のスメルジャコフが回想される

≪Мальчик вынес пощечину, не возразив ни слова, но забился опять в угол на несколько дней. Как раз случплось так, что через неделю унего объявилась падучая болезнь в первый раз в жизнь, не покидавшая его потом во всю жизнь. ≫

<試訳>少年は一言も反駁せずに頬打ちを我慢したが、何日かの間また片隅に身を隠してしまった。時を同じくして、一週間後、その後生涯縁の切れない生まれて初めての癲癇の発作が彼に起こった。

不幸な事情のもとに出生したスメルジャコフは下僕グリゴーリィ夫妻に育てられています。十代半ばに成長した頃、グリゴーリィが読み書きや聖書物語を教えるのですが、横柄な態度を叱責され頬打ちされます。作者自身、29歳の時に癲癇を発病しています。この経験が作品に大きく反映していると思います。

ロシアの人形2010-04-23

15cmほどで、幼い子供が手にしやすい大きさのようです。民族衣装がかわいく、下着も身につけていて着せ替えができるようになっています。

孤独な瞑想者2010-04-24

もの思いにふける者の描写

≪Правда, сейчас бы и очнулся, а спросил бы его, о чём он это стоял и думал, то наверно бы ничего не припомнил, но зато наверно бы затаил в себе то впечатление, под которым находился во время своего созерцания. Впечатления же эти ему дороги, и он наверно их копит, неприметно и даже не сознавая. ≫

<試訳>実際、ほんの今しがた我に返ったかのようで、どうしてここにいて、何を考えていたのかを訊いたとしても多分何も思い出さないだろうが、それでもその瞑想の間に存在していた印象はきっと自身の心に秘められるだろう。この印象は彼にとって大切なもので、気付かず、意識さえせずに彼はそれを蓄えているのだ。

作者はロシアの民衆に見出される瞑想者について詳しく説明しています。スメルジャコフもその一人だったというわけです。奇行や屈折した性格のスメルジャコフの存在が物語の陰影を増しています。この小説に限らず、ロシアの多くの文学や音楽の底を流れる特有の「憂愁」の源流がどこにあるのか知りたいと思い続けています。

山を動かせ2010-04-25

信仰について独自の考えを述べ続けるスメルジャコフ

≪рассудите сами Григорий Васильевич: ведь сказано же в писании, что коли имеете веру хотя бы на самое малое даже зерно и при том скажете сей горе, чтобы съехала в море, то и съедет ни мало не медля по первому же вашему приказанию.≫

<試訳>ご自分でよくお考えなさいグリゴーリィ・ワシーリェビッチ。聖書にだって書いてあるじゃありませんか、もし穀粒ほど僅かであれ信仰をお持ちでしたら、この山に向かって海へ入れと言ってごらんなさい、するとあなたの命令一下、少しの間も置かずに海に入るでしょうよ。

それまで「ロバのように」無口だったスメルジャコフが、信仰について演説を始めます。信心深いグリゴーリィをあざ笑い勝ち誇るように自説を展開するのです。イワンとアリョーシャに聞かせながら、フョードルは愉快そうに論争をけしかけます。食卓で宗教について、こうして真剣に意見を闘わせるというのは、生き方と密接につながる重大事だからなのでしょう。

ロシア的信仰2010-04-26

信仰についての議論が続く

≪- Вы совершенно верно заметили, что это народная в вере черта, - с одобрительною улыбкой согласился Иван фёдорович.
- Соглашаешься! Значит, так, коли уж ты соглашаешься! Алёшка, ведь правда? Ведь совершенно русская вера такая?
- Нет, у Смердякова совсем не русская вера, - серьёзно и твёрдо проговорил Алёша. ≫

<試訳>「信仰の民族的な特徴だとあなたが言われたのは全くもっともです」- イワンが認めるような笑みを浮かべて賛成した。「賛成してくれるか! お前が賛成するからには、つまり、そういうことだ! アリョーシカ、確かに本当だろう。全くもってロシア的な信仰というのはそんな風じゃないか」 「いいえ、スメルジャコフのは全然ロシア的な信仰ではありません」-真剣に、毅然とアリョーシャは言った。

山に命じて海に入らせることのできる人がいない以上、この地上には不信心者ばかり、慈悲深い神がその全員を救わないことがあるか・・・スメルジャコフの弁論を巡って議論が続きます。作者は流刑地オムスク監獄での4年間、唯一の書物として聖書を読み耽ったそうですが、信仰はこの作品でも重要なテーマとなっています。日本の文学でそれに比する重要なテーマは何か、精神風土の違いをまた感じます。