不死はあるのか?2010-05-02

さらにフョードルの問いかけが続く

≪- Иван, а бессмертие есть, ну там какое-нибудь, ну хоть маленькое, малюсенькое?
- Нет и бессмертия.
- Никакого?
- никакого.
- То-есть совершеннейший нуль или нечто. Может быть нечто какое-нибудь есть? Всё же ведь не ничто!
- совершенный нуль.
- Алёшка, есть бессмертие?
- Есть.
- А бог и бессмертие?
- И бог и бессмертие. В боге и бессмертие.≫

<試訳>「イワン、そんなら不死ということはあるかね、そうだな、何らかの形で、まあ、僅かでも、ほんのちょっぴりでもいいんだが」
「いいえ、不死もまたありませんよ」
「まったくか」
「まったくありません」
「つまり、完全なる無か、それとも何かしらってことか。何かが、なんらかの形であるかも知れんじゃあないか。だって何もないなんてことは!」
「まったくの無ですよ」
「アリョーシカ、不死はあるかね」
「あります」
「神も、不死もあるんだな」
「神も、不死もあります。神の中に不死もあるのです」

神と不死の存在を巡って法廷の審問のようなやりとりが続きます。19世紀ロシアの片隅の町、暗い屋敷の食卓を囲んでの議論ですが、まるで自分が陪審員席に座って眼前の審理に立ち会い見解を迫られている気分です。自分の考えをあいまいにせず、生き方を一致させようと苦悩する彼らに学ぶものがあります。「不死」はこの後、ゾシマ長老の死に際して関わりを持ってきます。