際限なく信じるよ2011-03-09

 ≪Итак, принимаю бога и не только с охотой, но, мало того, принимаю и премудрость его, и цель его, - нам совершенно уж неизвестные, верую в порядок, в смысл жизни, верую в вечную гармонию, в которой мы будто бы все сольёмся, верую в слово, к которому стремится вселенная и которое само " бе к богу " и которое есть само бог, ну и прочее и прочее, и так далее. в бесконечтость. Слов-то много на этот счёт наделано.≫

<試訳> 「だから、喜んで神を認めるどころか、さらに、我々には到底計り知れない神の英知も目的も認めるよ、秩序も人生の意義も信じるし、我々が皆一体となるという永遠の調和も信じる、宇宙が目指して進み、それが “ 神への道 ” であり、神そのものである言葉も信じる、その他、その他、際限なく信じるよ。これについては言葉がふんだんに作られているからな」

・ イワンは神について一般に語られている事を全て認めると言います。だからと言って積極的な信仰心が伝わってくるわけではありません。前回の流れからすると、考えの及ばない事については議論しないという事ですから、彼にとっての神は“認める”にしろ“認めない”にしろ違いは無いのではないかとさえ思います。

コメント

_ 慎之介 ― 2011-03-10 08:54

イワンがどのような教育を受け彼の考え方ができたのか、興味あります。
試訳には「「信じる」と「認める」がでてきますが、思考回路にもたつきがでているので、こんがらかってきます。ついつい読み飛ばしてしまいたくなるような、、、、、。

_ mir→慎之介さん ― 2011-03-10 10:24

作者によるとイワンは幼年時代から並はずれた才能を現し、ある篤志家の援助で全寮制の中学で英才教育を受けています。大学時代の前半に既に新聞記事を書くことで収入を得、後半は各分野に亘って才気溢れる書評を発表し文壇にまで名を知られるようになったとあります。卒業後も論文を発表するなど言論界、宗教界に注目されています。
「認める」と「信じる」はそれぞれ別の単語が使われていますから、作者は意図して区別しているようです。イワンにとっての「認める」は消極的でむしろ「否定はしない」という程度、「信じる」は少し肯定に傾いて「同意する」というニュアンスではないかと感じています。いずれにしても「信仰する」の意味にはとても受け取れません。
遠慮なく読み飛ばして下さい。先に進んでから思い当たった事が何度もあります。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
この小説が書かれた国の名をカタカナ3文字でご記入下さい。

コメント:

トラックバック