僕も苦しみたいんです2011-04-08

 ≪Да ведь весь мир познания не стоит тогда этих слез ребёночка к "бозеньке". Я не говорю про страдания больших, те яблоко съели и чорт с ними, и пусть бы их всех чорт взял, но эти , эти! Мучаю я тедя Алёшка, ты как будто бы не в себе. Я перестану, если хочешь.
- Ничего, я тоже хочу мучиться, - пробормотал Алёша.≫

<試訳> 「認識の世界の全てをもってしてもこの幼子の “神ちゃま”への涙に値しやしない。僕は大人達の苦難は言わないよ、林檎を食べたんだからな、どうとでもなるがいい、一人残らず悪魔に連れ去られればいいんだ、だけど子供達は、子供達の苦しみは! 僕はお前を苦しめてるみたいだなアリョーシャ、平静を失っている様じゃないか。なんなら止めるぞ」
「何でもありません、僕も苦しみたいんです」アリョーシャはつぶやいた。

・ 子供達が背負わされる苦痛の存在の不合理を憤るイワンの切ない叫びが聞こえて来ます。アリョーシャもまた語られる事実に驚きと憐れみで心を乱されます。子供達への愛情は未来への希望の表現でもあります。真剣に訴えるイワン、共に苦しみたいと語るアリョーシャ、二人の心情の崇高さに救われる思いがします。

コメント

_ 慎之介 ― 2011-04-09 08:13

作者の時代と現代をあわせて読ませてもらっています。いつの時代でも、子供たちが十分に慈しまれ育っていってないのです。それを知った大人たちが何をしているのか、皆無ではないにしても、全ての子供たちが慈しまれ大人になっていけるわけではないのですから。

_ mir→慎之介さん ― 2011-04-09 09:13

そう思います。いつの時代も苦難はありますが、大人の創りだした環境、価値観、文化が子供達にとってどうなのか疑問ですね。子供達が素直に生きられない、空気を読んで自分を押し殺さなければならないのはどこかが変です。多くの大人(親)もまた、将来に明るさを展望できない社会状況に覆われて、幸福感を持てないこともあるでしょう。「せめて子供達だけは」とのイワンの気持ちが時を越えて痛いほど分かります。

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