一日でも十分なんです2011-12-12

 ≪Приедет бывало доктор, - старик немец Эйзеншмидт ездил: "Ну что, доктор, проживу я ещё денек-то на свете? - шуити бывало с ним, - " Не то, что день, и много дней проживёте, - ответит бывало доктор, - и месяцы, и годы ещё проживёте", - "Да чего годы, чего месяцы! - воскликнет, бывало, -что тут дни-то считать, и одного дня довольно человеку, чтобы всё счастие узнать. ≫

<試訳> 医師が来ると(ドイツ人の老医師エイゼンシュミットが往診していたのです)“どうです、僕はあと一日ぐらい生きられるでしょうか”と兄が冗談を言うと、医師は答えたものです。“一日だなんてとんでもない、何日も生きられますよ。何カ月、何年だって生きられますよ”。すると、“どうして何年も、何カ月も要るんです!”と兄は叫んだものです。“日数を数えて何の意味があるでしょう。人間が幸せを知り尽くすのには一日でも十分なんですから”

・ 心から幸せな境地を得ている彼に、死への怖れや生への執着はありませんが、周囲の人々にとってはそんな青年の姿を見るのは辛かった事でしょう。ゾシマ長老が自らの死に際して生涯を振り返り、兄マルケルのこの場面を語ったのは、彼の言葉を借りて重なり合う自分の心境を伝えたのだと思います。