不信心だった2018-02-15

 ≪За обиду свою Митей, ударившим его тогда по лицу и сбившим его с ног, он заметил, что не сердится и давно простил. О покойном Смердякове выразился, перекрестясь, что малый был со способностью, да глуп и болезнью угнетён, а пуще безбожник, и что его безбожеству Фёдор Павлович и старший сын учили.≫

<試訳> グリゴーリィは、その時ミーチャが自分の顔を殴ったり突き倒した侮辱に対して腹を立ててはいないし、とっくに許していると述べた。死んだスメルジャコフについては、十字を切りながら、能力のある従僕なのに愚かで病気に苛まれていたし、何しろ不信心だったが、その不信心を教えたのはフョードルと長男だったと申し立てた。

・ 不信心を教えたのがフョードルと長男だと言っていますが、スメルジャコフは “ 神がいなければ全ては許される ” というイワンの考えを口にしていましたから、むしろ次男イワンの無神論の影響が強いのではないかと思います。
事件当夜発作で隣のベッドに寝ていたスメルジャコフのアリバイを信じ込んでいるグリゴーリィには、彼の犯行は考えられないでしょう。

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