教会で聞いた事はないのですか2025-03-06

 ≪- Разве вы не читали? - спросила она, глянув на него через стол, исподлобья. Голос её становился всё суровее и суровее.
- Давно... Когда учился. Читай!
- А в церкви не слыхали?
- Я... не ходил. А ты часто ходишь?
- Н-нет, - прошептала Соня.
Раскольников усмехнулся.≫

<試訳> 「本当にあなたはお読みになった事がありませんの?」 テーブル越しにラスコーリニコフを上目づかいに見て、ソーニャは尋ねた。彼女の声はだんだん険しくなった。
「大分以前に… 学校にいた頃に。さあ読んでくれ!」
「教会で聞いた事はないのですか?」
「僕は… 行った事がないんだ。君はしょっちゅう行くのかい?」
「い、いえ」 ソーニャが囁いた。
ラスコーリニコフはにやりとした。

・ ソーニャに朗読を頼んだ部分を巡って二人がやりとりします。ラスコーリニコフの不信心が分かります。ソーニャは、自分の職業では、教会に足を踏みいれるのが憚られるのでしょう。行きたくても行けないのが本音だと思います。

コメント

_ 潤 ― 2025-03-06 08:30

過去にクリスチャンの友人が聖書にかなった人のが、教会へはいれると言ったことを思い出します。迷える人々を救う場所ではないらしい。大昔から信仰が始まったころから、他を選別して、、、、現在も続いていることを実感します。

_ mir→潤さん ― 2025-03-07 10:01

教会が不信心や教義の相違を異端として厳しく排除したり、権威と結びついて富を築いたりした歴史的事実がありますね。現在も宗教が国レベルで紛争の要因の一つになる例があります。一方で、ジャンバルジャンを助けたミリエル司教のように、個人として寛容な宗教者はたくさんいるはずです。現実に、マザーテレサのような献身的善行には宗教の力を感じます。

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