理性ってのは激しい感情に従うもの2024-07-08

≪Тут весь вопрос изверг ли я или сам жёртва? Ну а как жёртва? Ведь предлагая моему предмету бежать со мною в Америку или в Швейцарию, я может, самые почтительнейшие чувста при сем питал, да ещё думал обоюдное счастие устроить!.. Разум-то ведь страсти служит, я, пожалуй, себя ещё больше больше губил, помилуйте!..≫

<試訳> 「問題の全ては、私が悪漢か、それとも私自身が犠牲者なのかにあるのですよ。さて、犠牲者とはどういう意味か? だって私が一緒にアメリカかスイスに駆け落ちしようと提案した時、この上ない敬虔な感情だったかも知れませんし、それどころか、二人の幸福を築こうと考えていたかも知れないんですからね!…。理性ってのは激しい感情に従うものでしてね、おそらく私の方がはるかにひどく破滅したんですよ、冗談じゃない!…」

・ ドゥーニャはそんな駆け落ちを持ちかけられていたのです。やがて彼女が申し出を毅然と拒否した事が世間にも知られるところとなって、彼女の名誉は回復しましたが、彼は逆にすっかり評判を落とし、” 破滅した ” というわけです。自分の方が犠牲者だとは、スビドリガイロフの勝手な言い分です。

コメント

_ 潤 ― 2024-07-08 08:49

スビドリガイロフは恐ろしく自分勝手な人、これは裕福であるという特権階級の考え方、どれ程ドーニャ一家を苦しめ怒らせたことを思ったこともないのでしょう。よくドーニャの家族の前に出てこられたものです。

_ mir→潤さん ― 2024-07-09 07:07

自分の行為がどれほど相手を不幸にするか、相手の立場に立って感じられない人物です。確かに、何事もお金で自由になるという考えが染みついているのでしょう。これも人間の弱い一面を表していますね。まだ謎めいた部分はあって、今後の展開が興味深いです。

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