絶望と後悔は全く異なる二つ2019-07-12

 ≪Но почему, почему, восклицает обвинение, Смердяков не признался в посмертной записке? "На одно-де хватило совести, а на другое нет". Но позвольте: совесть - это уже раскаяние, но раскаяния могло и не быть у самоубийцы, а было лишь отчаяние. Отчаяние и раскаяние - две вещи совершенно различные. Отчаяние может быть злобное и непримиримое, и самоубийца, накладывая на себя руки, в этот момент мог вдвойне ненавидеть тех, кому всю жизнь завидовал. Господа присяжные заседатели, поберегитесь судебной ошибки!≫

<試訳> ではなぜ、スメルジャコフは遺書で告白しなかったのか、と検事は声を張り上げます。“ 一方には良心の呵責を感じ、他方には感じなかったとでも ” と叫んだのです。しかし、言わせていただきますが、良心とはすでに後悔なのですが、この自死した者には後悔などはあり得ず絶望があるだけでした。絶望と後悔は全く相異なる二つのものです。絶望は憎悪のこもった妥協を許さぬものかも知れず、自死した者は自身に手を下そうとしつつ、その瞬間、一生羨んできた人々を一段と憎んだかも知れないのです。陪審員の皆さん、裁判の誤りに留意して下さい!

・ スメルジャコフの死を巡る弁護士の考えは、推測に傾きやや難しい印象です。彼が後悔したためではなく絶望して死んだと言いたいのでしょう。犯人の彼がもし後悔したのなら、つまり良心があったならば遺書に罪を告白しただろうが、犯行を後悔しなかったからこそ告白しなかったのだと応じるのです。

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