誠実さで人々をとらえた2018-08-23

 ≪Главное, тем взяло его слово, что было искренно: он искренно верил в виновность подсудимого; не на заказ, не по должиности только обвинял его, и, взывая к "отмщению", действительно сотрясался желанием "спасти общество". Даже дамская наша публика, в конце концов враждебная Ипполиту Кирилловичу, сознавалась однако в чрезвычайном вынесенном впечатлении.≫

<試訳> 何よりも検事の論告はその誠実さで人々をとらえた。彼は命じられたからでもなく、単に職務上から被告を告発したのでもなく、被告の有罪を心底信じていたのだ。そして、“ 制裁 ” を訴えたのは、本当に “ 社会を救いたい ” 欲求に心を震わせていたからだ。イッポリート検事に反感を抱いていたこの町の婦人達でさえ、結局のところ強烈な感銘を受けたと認めたほどだった。

・ 検事の誠実さが強調されています。信念に基づいてドミートリィの犯行を告発しました。冤罪でありながら、誠意ある姿勢が人々にも伝わって説得力を持ってしまったのです。

コメント

_ 慎之介 ― 2018-08-23 08:41

本当にこの検事は誠実さをもって論告したのでしょうか?傍聴人の心の動きを検事席で感じ、雰囲気を考慮してのものだったのでは?一体検事の論告とは、どういったものだったのでしょう。

_ mir→慎之介さん ― 2018-08-24 07:21

検事は犯罪を告発して法秩序を維持する役割がありますが、専制時代ですから、政治的な問題については体制維持の側面もあったと思います。それでも弁護士がつき、陪審員制度があり、多数の傍聴も許されるなど、ほぼ現代の裁判制度と変わらないのが意外な感じです。
誠実さは見方によってかわるものだと思います。彼の場合は、証拠や証言に基づいて導いた結論を、真実を確信して論告したという事ではないでしょうか。また、被告や証人に対する態度にも人柄が表れるのだろうと思います。結果的に冤罪だった責任は免れませんが…。これから延々と続く論告を注視します。

_ mir→慎之介さん ― 2018-08-25 21:58

検事の論告が誠実だったか? との疑問ですが、今のところ私は、彼が傍聴人の反応を意識して、それに応じて弁論を進めているとは感じません。予審や尋問の証言に基づいて、良心に従って確信を述べていると思うのです。その意味で誠実と言えると考えます。でも今後論告がかなり長く続くので、推移を見ながらさらに考えてみます。

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