私もまた人間だ2012-06-18

 ≪Не раболепен он, и это после рабства двух веков. Свободен видом и обращением, но бозо всякой обиды. И не мстителен, и не завистлив. "Ты знатен, ты богат, ты умен и талантлив, - и пусть, благослови тебя бог. Чту тебя, но знаю, что и я человек. Тем, что без зависти чту тебя, тем-то и достоинство моё являю пред тобой человеческое"≫

<試訳> 民衆は卑屈ではありません。しかも二世紀に亘る農奴制を経たというのにです。表情も振舞いも自由でいながら何ら礼を失しないのです。そして復讐心もなく妬みもありません。“ お前さんは身分が高く金持ちで賢くて才能がある、それは結構、神様が祝福されますように。お前さんを尊敬します。けれどもこんな私もまた人間だと分っとります。妬まずに尊敬する事で、お前さんに人間としての私の威厳を示しているんです ”

・ 民衆の誇り高さが強調されます。この後に“ 実際には、こんなことは言わぬにしても(なぜなら、まだこんな気のきいたことを言うすべを知らないのだ)、そんなふうに振舞っているのを私はこの目で見たし、経験もしてきた(原卓也訳)”とあります。民衆を“ 神の体現者 ”“ 神を孕める者 ”としてそこにロシアの救済の力を見るゾシマ長老の視点が、社会主義革命とどのようにつながり、また、現代のロシア正教会ではどのようになっているのか興味があります。