太陽が存在すると知っている2016-10-27

 ≪Теперь не боюсь, прежде боялся. Знаешь, я может быть не буду и отвечать на суде... И кажется столько во мне этой силы теперь, что я всё поборю, всё страдания, только чтобы сказать и говорить себе поминутно: я есмь! В тысяч мук - я есмь, в пытке корчусь - но есмь! В столпе сижу, но и я существую, солнце вижу, а не вижу солнца, то знаю, что оно есть. А знать, что есть солнце - это уже вся жизнь.≫

<試訳> 「今は怖くはない、前は怖かったけどな。いいかい、僕は法廷でなにも答えないかも知れないよ…。多分、今の僕にはどんな苦しみをも打ち負かすだけの力があると思う。ただ単に、 “ 我在り!" と言い切って、それを絶え間なく言い続けさえすればな。限りない苦難の中で、我在りと、拷問に身をひきつらせても、我在りとだ! 柱の上に晒されようと、それでもやはり僕は存在して太陽を見る。太陽が見えなくても、それがあるのを知っている。太陽が存在すると知っている事、それがもう全人生だよ」

・ ドミートリィが切々と語ります。 “ 我在り!” は聖書にある言葉です。神を太陽に譬えているようにもとれます。人間の裁きへの気掛かりを超え、苦難に耐えようと自分自身を鼓舞する印象的な表現です。

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