諭すゾシマ長老(3)2010-01-01

農婦への長老のあたたかい言葉は続く。

≪Любовью всё покупаетья, всё спасаетья. Уж коль я, такой же как и ты человек грешный, над тобой умилился и пожалел тебя, кольми паче бог. ≫

<試訳> 愛はすべてを贖い、すべてを救うのだよ。お前さんと同じく罪深いわしでさえお前さんに感動し憐れんだのだから、ましてや神様ならなおのことなのだよ。

教会や長老の権威を微塵も感じさせません。哀切な訴えを自分のこととして受け止めて、病める心に寄り添う長老のもとに民衆が押し寄せるのも当然です。

余命を知るゾシマ長老2010-01-02

長老に対して「とても元気そう見える」と言う夫人に彼は答える。

≪Мне сегодня необыкновенно легче, но я уже знаю, что это всего лишь минута. Я мою болезни теперь безошивочно понимаю. ≫

<試訳> わしは今日いつになく体調がいいが、でもわしはもうこれがもうちょっとの間だということを知っておる。今や、わしの病状は間違いなくわかっとるんだよ。

フョードル一行はすでに草庵に到着しているのですが、死が間近に迫っていることを悟っている長老は、力を振り絞って研ぎ澄まされたような信念を民衆に伝え続けます。カラマーゾフ家の修羅場に先立って描写されることでその後の場面がいかに場違いであるかが浮き彫りになるのだと思います。

カラマーゾフの兄弟DVD2010-01-02

何度も映画館で観たのですが、手元に置きたくて購入しました。訳していると場面が浮かんできます。

完全に幸福な人2010-01-03

余命を知るゾシマ長老は続ける。

≪Есль же я вам кажусь столь веселым, то ничем и никокгда не могли вы меня столь обрадовать, как сделав такое замечание. Ибо для счастия созданы люди, и кто вполне счастлив, тот прямо удостоен сказать себе: «Я выполнил завет божий на сей земле». ≫

<試訳> もし、あんたが言ってくれるように、わしが楽しげに見えるなら、こんな嬉しいことは他にないよ。なぜかと言えばな、人は幸せのために創られておって、完全に幸福な人は“私はこの世で神の御心を果たしました”とはっきりと言う資格があるのだよ。

衰弱して体調が良くないのに、彼の様子が楽しげに見えます。信念を貫いて死を乗り越え、幸せを感じている長老の姿は親しみ深くもあり、また厳かでもあります。

実践的な愛(1)2010-01-04

信仰に悩む貴婦人に対して長老は愛の実践を説く。

≪Опытом деятельной любви. Постарайтесь любить ваших ближних деятельно и неустанно. По мере того, как будете преуспевать в дюбви, будете убеждаться и в бытии бога, и в бессмертии души вашей.≫

<試訳> 実践的な愛の体験によってだよ。あなたの身近な人々を懸命に倦むことなく愛するように努力なさい。愛することがうまくいくにつれて神の存在やあなたの魂の不滅を得心できるようになるんだよ。

純朴で信仰に篤い農婦に続いて、長老は偽善や不信に悩む貴婦人に応対して無償の愛の実践を説くのです。教条的な教えではなく一人一人の問題を見抜いて心に響く言葉を発する彼の存在は、この小説の一つの峰となっています。

実践的な愛(2)2010-01-05

愛に対して賞賛と報償を求めてしまうと告白する貴婦人への長老の諭しが続く。

≪Есль же дойдете до полного самоотвержения в любви к ближему, тогда уж несомненно уверуете, и никакое сомнение даже и не возможет зайти в вашу душу. Это испытано, это точно. ≫

<試訳> 隣人への愛が完全な自己犠牲にまで達したならば、その時はもう疑いなく信じるようになり、どんな疑いもあなたの心に迷い込むことはできないのだよ。これは試されずみの確かなことなのだ。

この貴婦人はアリョーシャを慕う車いすに乗った娘リーザを伴っています。また、カテリーナから頼まれてアリョーシャへの手紙を渡すという場面があります。後の展開につながる役も演じているわけです。無償の愛の実践の難しさを嘆く婦人は正直だと思います。

実践的な愛(3)2010-01-06

愛することの厳しさを長老は伝える。

≪Любовь деятельная сравнительно с мечтательною есть дело жестокое и усторашающее. Любовь мечтательная жаждет подвига скорого, быстро удоволетворимого и чтобы все на него глядели. Тут действительно доходит до того, что даже жизнь отдают, только бы не продлилось долго, а поскорей совершилось, как бы на стене, и чтобы все глядели и хвалили. Любовь же деятельная – это работа и выдержка, а для иных так пожалуй целая наука. ≫

<試訳> 空想的な愛に比べると実践的な愛は残酷で怖いものでな。空想的な愛は早急な功績や満足を、そして皆がそれを注目してほしいと渇望する。それは実際、生命さえ賭けていいとさえ思うのだが、ただ長続きはせず芝居のように早く成し遂げたい、みんなが注目し誉めそやしてほしいというわけだ。実践的な愛は労働であり忍耐であり、そしてある人々にとってはほとんど学問でさえあるのだよ。

ここで長老ははっきりと空想的な愛と実践的な愛の違いを鋭く説いています。”наука”は科学や学問の意味なので「実践的な愛はほとんど学問である」と訳しましたが、科学のほうがいいのでしょうか。どっちにしても人によっては愛は理性的、論理的なものであるということになり、考えさせられます。

悲惨な気持ちと目指す所への到達2010-01-07

愛の実践の厳しさを述べた後、長老はそれを通じて到達する境地を述べる。

≪Но предрекаю, что в ту даже самую минуту, когда вы будете с ужасом смотреть на то, что, несмотря на все ваши усилия, вы не только не подвинулись к цель, но даже как бы от от неёудалились,-- в ту самую минуту, предрекаю вам это, вы вдруг и лдостигнете цель и узрите ясно над собою чудодейственную силу господа, вас всё время любившего и всё время таинственно руководившего. ≫

<試訳> しかし言っておくが、あんたの努力にもかかわらず、目的にも近づけずにかえってまるで遠ざかるのを、悲惨な気持でまのあたりにする時でさえも、まさにその瞬間に、言っておくが、あんたは突如として目指すところに到達し、あんたを常に慈しみいつの時も密かに導いている奇跡的な神の力を我が身にはっきりと見ることになるのだ。

「神の力を我が身にはっきりと見る」を、私は、神が現れるとか、神が助力するということではなく、自身の内部に力を与えられ無償の愛の実践を肯定できる、の意味に受け取ります。誠意を尽くした実践の極点で、報いられなくても満ち足りること、人間に潜む善意の力への確信です。

パリの公安刑事の考え(1)2010-01-08

ミウソフが数年前の12月革命(1851年ナポレオン)直後にパリで会った公安刑事の話を持ち出す。

≪Мы, -- сказал он, -- собственно этих всех социалистов—анархистов, безбожников и революционеров, не очень-то и опасаемся; мы за ним следим, и ходы их нам известны. ≫

<試訳> 我々は、と彼は語った、大概このようなすべての社会主義者、つまり無政府主義者、無神論者、革命論者をさして恐れてはいない。と言うのは、我々は彼らを監視しておるし彼らの手口はわかっておるからだ。

草庵に集まっている一同がドミートリィを待ちながら国家、犯罪、教会などについて議論している流れの中で語る前段です。作品が作られた時代背景がわかりますし、作者の関心もうかがえます。

パリの公安刑事の考え(2)2010-01-09

ミウソフは続ける。

≪Но есть из них, хотя и немного, несколько особенных людей: это в бога верующие и христиане, а в то же время и социалисты. Вот этих-то мы больше всех опасаемся, это странный народ! Социалист-христианин страшнее социалиста-безбожника.≫

<試訳> だが、彼らの中に少ないとは言え特別な奴らがいるのだ。それは神を信仰するキリスト者であり同時に社会主義者でもあるという輩だ。この奇妙な奴らこそが我々が何より恐れるものなのだ。キリスト者社会主義者は無神論社会主義者より恐ろしいのだ。

150年ほど前の西欧の思想状況が反映しています。「悪霊」などに見られるように作者は当時の社会主義に関心があったのだと思います。皇帝制の陰りの時代、宗教と新思潮の社会主義の関係を深く考えたのではないでしょうか。パリのこの刑事の恐れは年を経てロシアで現実のものになります。伝統あるロシア正教の国で社会主義革命が実現するのですから。