回転車の中のリスのように2020-03-16

 ≪Если я долго не приезжал в город, то, значит, я был болен или что-нибудь случилось со мной, и они оба сильно беспокоились. Они беспокоились, что я, образованный человек, знающий языки, вместо того, чтобы заниматься наукой или литеранурным трудом, живу в деревне, верчусь как белка в колесе, много работаю, но всегда без гроша.≫

<試訳> 私がしばらく町に行かないと、私が病気か、それとも何かがあったのだ、と二人ともひどく心配しました。夫妻は私が外国語もいくつか知っている教養のある人間なのに、学問や文学の仕事にたずさわるどころか、田舎に住んで回転車の中のリスのようにあくせく働いていて、いつも文無しでいる事を気にかけていました。

・ アリョーヒン自身できる事なら大学での教育を生かしたかったのですが、事情が許しませんでした。何かと彼を案じてくれる夫妻の優しさは身に沁みるでしょう。

コメント

_ ひまわり ― 2020-03-16 16:58

今なら、人生は長い、たくさんのことを体験し自分の持つ能力を活かす時が来ると励ませますがその時代の人生の長さはどれくらいだったのでしょう。食料生産に関わっていることを誇りに思えればいいのですが。

_ mir→ひまわりさん ― 2020-03-17 10:47

当時のロシアの平均寿命を調べてみました。正確な統計ないのですが推計の資料によると、たとえば19世紀の英国で40才前後、全世界では30才になっていたので、ほぼ似たようなものだったでしょう。医療や公衆衛生の未発達、乳幼児の死亡率の高さが影響しています。統計上はっきりしている2015年のロシアでは、男性の平均寿命は60才台で、他の欧米主要国の平均が約80才に比べて大きな差があります。
チェーホフは44才で没しています。作中の人物にも人生の長さは無意識に反映しているでしょうね。確かにその時代の人生観の背景に人生の長さが関係しているはず、その観点にあらためて考えさせられました。
宮沢賢治が目指したように、農業生産と知的活動や芸術活動をうまく両立できれば理想なのでしょうが、現実には難しいようです。主人公はまだ町や社交への憧れがあるので、辛いのでしょう。

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